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知ってるつもり?!ラスベガスを築いた男『ベンジャミン・シーゲル』

ベンジャミン・シーゲル画像

ラスベガスを築いた男『ベンジャミン・シーゲル』

あなたは知っていますか?!映画『ゴッドファーザー』の終盤で暗殺される「ラスベガスの大物」モー・グリーンのモデルになったり、Bugsy (1991)という映画にまでなったラスベガスを築いた伝説のマフィア『ベンジャミン・シーゲル』通称バグジーを…….

本日は、彼の生涯に迫り、一人の男の生きざまをドキュメンタリータッチでお伝えしたかったのですが、できないので普通に伝えます(笑)そして、「さっ、(ここまで)いかがでしたか?」っと(関口さん風)に言うタイミング所がわからず、お蔵入りしたことはここだけの話で…..

生い立ちとバグジーという名の由来

1906年2月28日ニューヨークのブルックリンで、ウクライナ出身のユダヤ系の貧しい両親の間に生まれる。両親は彼が生まれる数年前にキエフからアメリカへ移民し、家族は堅気で兄は医者だったそうです。

バグジー11歳の時にマイヤー・ランスキーに誘われてラッキー・ルチアーノの一味(アメリカのイタリア系犯罪組織マフィアの最高幹部で組織改革者)に成るが、ランスキー共々ユダヤ系でシチリアン・マフィアの世界では表舞台に立つ事は出来なかったため、バグジーは影の参謀で鉄砲玉として働き、後に社会問題化する暗殺部隊「マーダー・インク」の基盤を作りました。

それから、ストリート・ギャングと成り、マンハッタンのローアー・イースト・サイドのラ・ファイエット通りを中心として窃盗などの犯罪を働き、露天商から上納金を取り立てたりと少年時代から普通の生活とは程遠い人生を歩んでいました。

1920年代のアメリカでは禁酒法が施行されており、多くのマフィアが密造酒やアルコールの密輸をシノギとしていた。バクジーも例外ではなく、ユダヤ系殺し屋軍団を結成してライバルが密造や密輸をしたアルコールを奪ったり、マフィアから依頼を受けての密輸車両の護衛をきっかけに、武力と知力でのし上がっていく。

彼を一躍有名にした事件は、1931年9月シチリア系のボスのサルヴァトーレ・マランツァーノを襲ったとされたことである。身内のマフィアがマランツァーノファミリーと抗争をしていたため、ユダヤ系殺し屋の仲間3人と共に、刑事に扮装してマランツァーノを殺害したと噂が残っている。

バグジーの暗殺の手口は刑事に扮装したものが多く、武力だけではなく刑事に扮装できるだけの身なりと機転を備えていることを証明している。

そんな彼も、人生で1度だけ正業についたことがある。それはタクシー運転手!当時のタクシー利用客はもっぱら富裕層だったため、客を外出先に送り届けた後で客の自宅へ空き巣に入ったという。

頭の回転が速く、時代を先取りする能力に長けていたのであろうと予想できるエピソードですね。しかし、1926年1月、タクシーの乗客をレイ×した容疑で逮捕されたが、被害者が証言を変え放免された!という謎(ツッコミ所)が多い事件を起こしていました。何故、被害者が証言を変えたのか……一瞬追求しようかと思いましたが、サイトの趣旨が変わるのでここらへんで(笑)

バグジーというニックネームの由来

若い頃、ヘルズ・キッチン地区のアパートのベランダから、下を歩く巡回中の警察官にレンガや水を入れた袋を投下したりしていた。バグジー(ばい菌、害虫)と言われたが、本人はバグジーと呼ばれる事を嫌っていました(そら、嫌ですよ(笑))

バグジーとは親友だけが呼べたが、親しくない者が本人の前で呼んだら大変な事に成ったそうです。でも、付けられるだけの十分すぎる理由もあるのですが。

西海岸派遣・ハリウッドそして女

1936年、バグジーは特命を受けてハリウッドに移り住む。当時のハリウッドはユダヤ系のミッキー・コーエンが仕切っており、同じユダヤ系のバグジーが橋渡しとして送り込まれたのである。

180cmの長身に甘いマスク、透き通るような青い瞳、社交的で女好きだった。本物のギャングだと知りながらも、ハリウッドの女たちはバグジーの虜と成った….長身、甘いルックス=ハンサム、聡明、話し上手、危険な男と女性心を刺激する要素をすべて持つ男なんです。そら、モテますわ(兄さんずるいですやん)っと言わざるえません(笑)

バグジーは、映画スター並のハンサム(もうええねん!)で服装には気を使い、シャツはハンドメイドでシルク製で当時としては破格の$200もするスーツを着ていた。整髪にも手を抜かず指にはマニキュアをし、身体もジムに通い鍛える徹底した美意識の塊を持ち、ナイトクラブやレストランでは気前もよくウェイターにはチップを渡していたそうです。

ドロシー・ディフラッソ伯爵夫人

数多くの女優やマダムとベッドを共にしたバクジーだが、中でも特に興味深いのがドロシー・ディフラッソ伯爵夫人とのエピソードです。

彼女は時の独裁者、ムッソリーニと顔見知りで、バグジーは彼女を従えてイタリアに出向き、ムッソリーニに「アルマイト」なる新型爆弾を売り込みました。

ところがアルマイトの性能が悪く、煙が立ち上るだけの不発に終わった。腹を立てたムッソリーニは伯爵夫人の身分を格下げ、2人を来賓室から追い出した。

代わって招かれたのは、ナチスの大物幹部のゲッベルスとゲーリングだった。バグジーは怒る狂ってピストルを抜いて暗殺しようとする鬼畜ぶりを見せつけようとしたが、伯爵夫人が必死にそれを制しして事なきをえました。

またある時は、金銀財宝の伝説を夫人から聞かされ、宝の地図を手に入れ航海に出たが何も掘り出せなかったや1941年初め、戦争のさなかビタミン剤が欠乏したためサメの肝臓で億万長者になれるという夫人の話に乗り、漁船をチャーターして数か月網をはったがサメが捕まらないなどのコメディチックなエピソードも残しております。

ヴァージニア・ヒル

1940年代にヒルはカリフォルニア州に移り、ベンジャミン・シーゲルと出会い、彼の妾となった。 バグジーは浮気性で、彼女とはしょっちゅうひっぱたきあっていたという。彼女と出会った頃、友人に「バージニアのベッドテクニックは最高」と言っていたそうな。。。バグジーはヒルのフ●●●オの技術を称えて彼女の事を「フラミンゴ」と呼んでいたそうです。そして、後のラスベガスのカジノ名も「フラミンゴ」!!

いやーバグジーさんは笑いのセンスも兼ね揃えておりますね。

ヒルはバグジーと出会う前にラッキー・ルチアーノ、フランク・コステロ、ジョー・アドニスなどギャングの大物と関係を持っており、尻軽な女性として有名でした。

ヒルはハリウッドで派手な生活を続け、ビバリーヒルズに自身の屋敷を購入し、そこでハリウッドの有名人を毎晩のようにもてなした。しかしヒルはハリウッドの有名人達を、彼らのプライベートをネタにゆすっていた性悪女であることも、絶対に一般人にはわからない強いシンパシーをバグジーと築けていたのでは。

ヒルは余生をヨーロッパで過ごし、晩年にはウェイターとして働いていた息子のピーターが彼女の面倒をみた。1966年3月24日、オーストリアのザルツブルクで、睡眠薬の大量摂取によって死亡、自殺したと言われている。

ラスベガス

ネオン輝くエンターテイメント・シティ「ラスベガス」は、年間観光客 約5000万人、ハワイの約5倍。その世界最大の観光都市も110年前には、ラスベガスの人口は25人だったそうです。

  • 1840年代末に現在のカリフォルニア州で金が発見され、ゴールドラッシュが起こると、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として定住する者が現れた。
  • 1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、ダウンタウンに駅が造られた。
  • 1931年4月、コロラド川の氾濫(はんらん)をせき止める為に、大恐慌の失業者対策の1つとして、ニューディール政策の「フーバーダムの建設」が始った。フーバーダム、多くの労働者が集まり、同時に飲酒、ギャンブルが解禁と成り、ラスベガスの街も次第に賑わうが、当時はまだ、西部劇に出て来る様な街だった。
  • 1935年、黒部ダムの約10倍で高さ223m、幅379mの、フーバーダム完成。
  • 建設の為に掘り出された岩は、万里の長城が造れる程使われたコンクリートは、西海岸のサンフランシスコから東海岸のニューヨークまでハイウエーが出来る量。
  • ダムの完成により、世界最大の人造湖「ミード湖」が誕生。水の確保と広域の電力供給を補ったが、まだ、この時のラスベガスは、人口約2万人のさびれた街だった

バグジーとラスベガスの出会い

ボスのルチアーノの特命でダウンタウンのカジノの様子を見に行った帰り道、砂漠のど真ん中ダウンタウンから約10km離れた場所に、リゾートホテルの建設を思い付く。1944年の事だ、当時、ラスベガスは、駅周辺のダウンタウンにカジノバーが数件あったったが、さびれた砂漠の街だった。

当時はネバダ州以外は賭博は違法で、ロス在住のギャンブル馬鹿はわざわざネバダ州のリノまで行かなければならなかった。そこでバグジーが目をつけたのが砂漠の町、ラスベガスだ。ここならリノよりもロスに近い。

バグジーはダウンタウンを訪れ、フーバーダムが出来る事に寄って砂漠に水と電力の可能に成り、ラスベガスが将来ビックビジネスに成る事を感じダウンタウン南に大規模カジノを作り、華麗なナイトショーを繰り広げる一大ホテルを作る事を思い立つ。

バグジーは、1931年以来ギャンブルが合法化されており、いくつかのカジノが成功していたラスベガスに目を付けていて、当時のラスベガスにはまだ小規模なカジノしかなく、バグジーの展望はハリウッドの洗練された魅力をラスベガスに持ち込む事だった。

それまでラスベガスに無かった壮大なホテル、フラミンゴを作るためランスキーやコステロといったマフィアのボスに頼み資金をかき集めた。

ルチアーノから大金を引き出したバグジーは、伝説のカジノホテルフラミンゴ』建設に着工する。

建設業者は、後にニューヨーク・ヤンキースの共同オーナーにも成るアリゾナの大手、デル・ウェブ社が工事を担当した。建設時、第二次世界大戦後で、建設資材が不足していたが、工事を急ぐバグジーは、闇市から資材を調達するなど、彼の行動力には脱帽します。

すべてのパワーを善に注げば、どれだけ民から称えられたのか計り知れないですね。

当初の建設費用を大幅に上回る600万ドル以上かけましたが、『フラミンゴ』オープン初日(1946年12月26日)客室はまだ工事中という有様で天候不良が重なって、濃霧でロスの飛行機が飛べず多くの招待客が欠席する事態となり客の入りは芳しくなかったそうです。

カジノは儲かるどころか赤字続きとなり、更にバグジーが建設費を着服しているとの噂が広まり、遂にマフィアのボスたちが動き出す…….

資金はマフィアが出資、当初計画の建設予算をオーバーしマフィアに脅されたが、理想のホテルを作る事に妥協しないバグジーは、それを無視した。必ずホテルがオープンしたら、ホテルに沢山の客が来ると信じていたから。

バグジーの末路

1947年6月20日夜10時40分頃、カリフォルニア・ビバリーヒルズの愛人ヒルの邸宅で、仲間との夕食を終え帰宅したバグジーがソファに座り新聞を読んでいるところを、庭陰に潜んだ殺し屋にM1カービン銃で窓越しに銃撃され、計9発中4発が顔や胸に命中して銃殺されました。

自慢の青い瞳は4mも吹き飛ばされて、床に転がっていたそうです…..

しかし、死して尚、彼は偉大なることを達成しました。それは、彼が命を張って作った一大ホテルは、その話題性でその後大繁盛。その成功に続けと次々とその近辺にホテルが立ち並び、ラスベガスという巨大な眠らない街を築き上げました。